2013/04/23

ネタバレ行為に関する雑感

ネタバレ行為に関して論考しているブログ記事を見かけて、色々考えていたら長くなったのでブログに書き留めておきます。
きっかけになったのはこちらの記事。
ですが、この記事は色々な方向に話が飛ぶので、あくまできっかけです。以下に続く、僕が考えたこととの関連性はさほど高くありません。

最初の問題意識だけ共有しときましょう。

ここのところ数年、個人的に非常に違和感を感じているのが、いわゆる「ネタバレ」が現在の日本であまりにも過敏に扱われすぎているように思えることだ。

「ネタバレを過剰に気にしすぎることの弊害について」より

僕自身は、ネタバレに対して過敏な方だと思います。
基本的には読む側がネタバレを目にしないよう気をつけるべき(自己責任)と思いますが、紹介する側もある程度は「見たくない人が回避できる配慮」をすべきである、という立場です。

目次
  1. 僕がネタバレを嫌う理由1 奪う
  2. 増えた理由の仮説1 定義の拡大
  3. 増えた理由の仮設2 SNS
  4. 僕がネタバレを嫌う理由2 捻じ曲げる
  5. 終わりに~逃避論
少し長いですがご興味があればお読み下さい。


僕がネタバレを嫌う理由1 奪う

ネタバレは楽しみを奪います。その楽しみは、二度と取り返せない、たった一度しか経験する機会のなかった楽しみです。だからそれを奪われたくないし、奪いたくもありません。

僕は漫画が好きなので漫画で、実例に挙げましょう。ミステリのネタバレは論じるまでもないのでそれ以外で…今アニメもやっている「進撃の巨人」にしてみます。丁度今観てたから。

主人公のエレン君は、巨人を憎み巨人を殺すための技術を鍛えます(←これはあらすじに載ってるレベルの内容)。
ですが彼は、驚くべきことに、×××××××なことになってしまいます。

上で伏せた部分の事実に読者が初めて触れるのは、本来ならば第9話(コミックス二巻の最後)になります。
その部分を読んだ時の体験は、もちろん人によって違いますが、僕の場合は
  • 「ハァ!?」(まぁ多少想像はついてたものの)
  • 「オイここで二巻終わりとか勘弁してよ!」(しかも嘘予告ページやめろwwww)
  • 「ああああ早く続き読みてええええええ
みたいな感じでした。
これらの体験まるごとひっくるめて、この作品がくれる楽しさ、愉悦だと思っています。
そして、仮に伏せた部分を事前にネタバレされてしまっていた場合、これらの体験はごっそり鮮やかさを失います。鮮やかさというか、スピード感でしょうか。
再読は再読で楽しいように、ネタバレが楽しさの100%を奪うわけではありません。しかし初読時の体験は帰ってこないのです。

定義の拡大

冒頭に引用したように、ネタバレを嫌う声が増えているという実感は僕にもあります。この理由を考えた時、ネタバレが増えたからなのかな?と素朴に考えました。
というより、ネタバレという言葉が本来の語義を越えて様々な使われ方をしているように感じます。

これはちょっと極端な例なんですが、僕の知人Aさんの話。
Aさんはエヴァンゲリオンを観た経験がありません。にも関わらず、その作品に登場する数々の名台詞が頭に残っています。言うまでもなく、周囲にいるオタクな方々が事あるごとにその手の台詞を引用した所為です。
そんなAさんがいざ実際にエヴァを観ると、何が起こるか。
派手な戦闘シーンがあってBGMが盛り上がって物語がヤマを迎えた時、ヒロインが放つ名台詞によって、…オタクな友人の顔が思い浮かんでしまうのです。
もうね、台無し。

この例(名台詞を繰り返し挙げた行為)は本来ネタバレには該当しませんね。
しかし、作品を非常に残念な形にしてしまっているのも確かなように思います。

『ちょっとした紹介でネタバレするなと怒る人』の裏側には、こんな感じで『従来ネタバレとは呼ばれていなかったけど、何かしら作品の楽しさを奪われた体験』が存在するんじゃないか、と予想します。
それに該当する適切な名詞がないので、適当にひっくるめてネタバレと称されているだけなんじゃないか、と。

SNS

何がしかの社会現象の理由としてSNSの普及を挙げること自体が浅薄でカッコ悪いという偏見を勝手に持っている僕です(本当に酷い偏見だ)が、これはそれなりに根拠になりうると思うんで書いておきましょう。

誰もがカジュアルにネタバレ情報を書き込めてしまう仕組み、少ない操作でコンテンツを表示できるアクセシビリティ(警告が挟まれない)、テーマではなく人で繋がるが故のフィルタリングの難しさetc...SNSにはネタバレを見てしまいやすい要素がテンコ盛りです。
僕が最近踏んでしまった幾つかのバレは全部Twitterでした。誰かが悪いと責めるつもりはありませんが、えぐえぐ、ぐすん。

そうしてネタバレを踏む人が増えると、その体験を通じて過敏になる人も出てくるのかな、と。

僕がネタバレを嫌う理由2 捻じ曲げる

再び、冒頭のブログから引用します。

あらすじには還元できないからこそ、作品があるのだ。そう考えて作品に接しさえすれば、ストーリーのあらましを知っていたところで損なわれない要素が豊富にあることに気づくはずだ。

「ネタバレを過剰に気にしすぎることの弊害について」より

上記の内容は、僕も同意するところなんですよ。でも結論は真逆なんです、面白いですね。

今度は、恋愛漫画を例に挙げてみます。告白したり悩んだり別れたりくっついたりするストーリーを想像してください。
そのストーリーは、上記に引用した通り、あらすじに還元する(凝縮する)ことなんて不可能です。にも関わらず、ネタバレというのは大抵非常に短いですね。

「○は△と別れて、代わりに□と付き合い始めた」 とか。

(また偏見ですが、SNSで見かけるネタバレってこういう切り取り方が多いような。Twitterは文字制限のせいもあるけど)

実際にその漫画を読んでみれば、○が△と別れるまで如何に悩んだか、二人が付き合っていることでどんな問題があったのか、□が傷ついた○の心をどんなに優しく包んだのか、様々な周辺状況が描いてあることでしょう。それらを順に追っていけば、○に共感できるかも知れません。
しかし、そうした周辺状況をまるっと省略したネタバレ文を目にすると、○はサイテーに見えそうです。そんなの、可哀想じゃないですか。作者さんも、○も。


ネタバレを見てしまった後に漫画を読むことで、○に対する誤った印象が訂正されれば良いんですが、先入観ってのは結構強いものです。
それに、○はサイテーだという印象を持ったまま読まれる体験は、決して作者さんが意図するものではありません。

このようにネタバレは、奪うだけではなく余計な情報を付加して捻じ曲げてしまう面もあるのです。

終わりに~逃避論

というわけで散々ネタバレに対する憎悪をぶちまけ続けてみましたが、果たしてこれで良いのでしょうか?
例えば「定義の拡大」の項で挙げたエヴァの名言みたいな例を仮に最大限尊重するならば、人が聞いている場所では好きな漫画やアニメの台詞を口にすることすら許されないことになってしまいます。それは流石に過剰な制限だと僕だって感じます。
SNSでのカジュアルなネタバレにしたって、どんなに止めろと叫んでもなくなるものではありません。

ですから、バラされる側がなんとかして自分の身を、自分の楽しさを守るしかない、というのが僕の結論です。
ネタバレになりそうなら目を逸らし耳を塞ぐ。
それでも回避しきれなかったら、その人の二次創作によるオリジナル展開であるということにしておく。本家本編を読む前には電波ソングを繰り返し聴いて記憶を失っておく。etc...

そして次のことを忘れない。
世の中には、今すぐ本編を読みたくなるような、良いネタバレも存在するのです。


  

2 件のコメント:

  1. NGボンバー2013/05/17 22:45:00

    私は小学生の時に親にウルトラマンの本を買ってもらってウルトラQからウルトラマンレオまでの全話のストーリーと登場する怪獣の名前と特徴をすべて覚えてから実際に見ましたが、何の問題もなく楽しめました。また、小学校高学年の時に父に「世界のSF文学・総解説」という古今東西のSF小説をあらすじから結末まで解説した本を買ってもらいました。子供には少し難しい本でしたが貪るように読みました。当然、紹介されている作品は、ほぼすべて未読でありましたが、その後、それらの作品を読んだときも何の問題もなく楽しめました。私はネタバレで傷つくどころか好奇心を刺激されて大いなる楽しみを得ることができました。

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  2. コメントありがとうございます。
    そうですね、ネタバレしつつも好奇心を刺激して本編を読みたくさせる
    紹介文・本というのはあると思います。素敵な読書体験だったと思います。
    ウルトラマンの例で言うと、「今日はあの本に出てきたあの怪獣の話だ」って
    ワクワクすることは充分可能ですよね。
    ただ僕は、「今日はどんな怪獣が出てくるんだろう?」というワクワクも大事にしたくて、
    その『未知』をネタバレは踏み荒らしてしまいます。
    NGボンバーさんにとって『未知』の価値はさほど高くなかったのかも知れませんが、
    ネットの向こう側にはそれを最重要に位置づける人も居るはずで、
    だからネットでのネタバレには気をつけるように僕はしています。
    別に誰かに強制したりはしないですけどね~。

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