本書の著者である小野繁氏は外科出身の医師ですが、口腔外科時代に多く出会った不定愁訴の患者さんに対応する為に心療内科に転向し、2004年には「頭頚部心療科」という医科を新設したという経歴の持ち主です。
その中で出会った数多くの実例に基づいているので説得力がありますし、「藪医者は多く居る」とはっきり書くなど医師寄りに終始しないスタンスには好感が持てます。内容には同意できない点もありましたが、医者巡りをする内に分からなくなっていた事を改めて開き直らせてくれる一冊でもありました。
この本は、ドクターショッピング真っ最中の患者さんを即座に救ってくれたりはしないでしょう。ですが、闇雲に医師から医師へ渡り歩いてしまっているなら、落ち着いて自分を客観視する助けになってくれる筈です。
どちらかというと患者よりも医師の方々に読んで欲しい気がします。この本が例示するダメな医者にそのまま当てはまる医師はそれなりの割合で存在して、それは患者にとって大きなストレスですから。
サマリ
本書の内容は、
- ドクター・ショッピングの様々な実例を、その背景によって分類
- ドクター・ショッピングには、医療提供者側の問題が引き起こすものと、患者側の問題で起こるものがあることを指摘
- 医療提供者側の問題とは、「身体的疾患を注視するあまり、患者の心の状態や患者を取り巻く環境を軽視すること」だと分析
- これまで軽視されてきた問題に目を向ける「心身医学的医療、全人的医療」をドクター・ショッピングの悪循環を断ち切る方法として提案
医師のコミュ力を憂う
本書では、ろくに患者の顔も見ないような医師(電子カルテの普及で増えたような気がしますね)にダメ出しした上で、患者とのしっかりとしたコミュニケーションの必要性を訴えています。それはごもっともですが、著者の方のご認識にもちょっと不安を感じました。
病名を欲しがる人すらいる。病気と診断されれば、一般的な感覚の持ち主なら困るのがふつうなのに、こういう人は病気と認定されるまでは安心できない。自分は病気と信じており、そう決めてかかっているところへ、それを否定されてしまうと、かえって不安、あるいは不満を覚えるのである。
P52より引用
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この一節を読んだ時は、リアルで溜息が出ました。分かってない。この人分かってないよ。
医師と患者に限らず、あらゆるコミュニケーションの大原則ですが、自分の言動を否定されて気持ち良い人はいません。例え、Aさんの言った支離滅裂な事をBさんが客観的根拠に基づいて理路整然と『正しく』否定したとしても、Aさんはただ否定されたという一点を持って気分を害します。Bさんの主張がどんなに正しくとも感情的には関係ありません。これは別にAさんの頭が悪いとか器が小さいという話ではなくて、人間とは須くこうした感情を持った動物なのです。
ですから、自分が病気だと感じて来院した人が異常なしと言われれば不満を感じるのは至極当然で、それをなんでこの人は患者が頭オカシイみたいに書いちゃってるんでしょうか、と。
少なくとも営業畑やコンサル畑では、人間が否定を嫌う動物だなんて事は常識なので、巧みに肯定・同意・共感してお客さんを獲得します。もちろん否定しなきゃいけない事はキッチリしますが、相手が否定されたと感じないように否定してみせるとか、テクニックは色々あるそうです。
(余談ですが、肯定が下手な営業さんは仕事にならずに自然淘汰されるのであんまり見かけません。ところが、否定が下手な営業さんは結構世にはばかっていて、顧客だけでなく自社にも迷惑をかける事例を割と目にしますね…)
僕はそうした会話スキルが決して高い方ではありませんが、社会人として一般的な程度にはお客様と会話をしてきました。その僕より明らかに言葉使いや表情・表現がダメな医師が、決して珍しくない現状には心底憂うつな気持ちにさせられます。
医療の現場をSIer業界っぽく表現すると、『学生時代からずっとコーディングばっかりしてきたプログラマが、お客さんの前に出て振り回したり振り回されたりしている』みたいなもの。寒気がします。提供しているのが医療サービスでなければとっくにおまんまの食い上げですよ?
全人的医療≒コンサルティング
医療と営業は違うと腹を立てる医師もいるかも知れませんし、治療法がはっきりしている身体異常では確かにそうでしょう。医師が自身の専門知識と技術をふるって治る病気なら、多少患者が不快な思いをしようともそれで良いのかも知れません。
しかしすぐに治らないような病気ではどうでしょう。生活習慣病や糖尿病といった患者自身の生活改善が必須な病気や、一部の精神病のように患者自身の気の持ちようと周囲の理解に依存する病気では、医師にできる事は限定的です。
P65. 医者と患者の共同作業 |
別に患者に媚びへつらえとか、もっと下手に出ろとかいうつもりは毛頭ありません。ただ、患者に伝わらなければ何を言っても意味がないんですから、ちゃんと伝わるように、ちゃんと会話をして下さいと言いたいのです。
心身医療を持ち上げ過ぎ
もう1つの問題点は、さも心身医療が万能であるかのように謳っている事です。本の帯ではデカデカと「あなたの"病気"は治ります。」と断言していたりして、惹句にしても酷いだろと感じる次第。
セカンド・オピニオンという言葉があるように、2つないし3つの病院を回って複数の医師の見解を聞く事は有益です。しかし、それが10件20件となってくるとコストがかさむばかりで殆ど意味がありません。身体疾患ばかりを疑ってそうしたドクター・ショッピングを続けるくらいなら、心身医療も含めた対応を検討する事は有益だと考えます。
ただし前提条件が1つ。ドクター・ショッピングの過程の中で、疑わしい身体疾患がきちんと除外されていなければなりません。本当の原因である身体的な異常が何らかの理由で見落とされていたら、心身医療は奏功しません。それどころか有効な治療から遠ざかる結果になってしまいます。
原因の分からないある症状が、○○病ではないかとの疑いから、△△科にかかったものの、そこで見てもらったのがヤブ医者だった。「△△科的には問題ありません」と太鼓判を押されたが、それは誤診で本当は△△科が扱う○○病だった――。こんなケースで心療内科を訪ねてもなんの意味もないわけです。最後の砦を自負する心療内科が△△科へ戻せるかというとそれも難しい話です。
じゃあどうすればいいのかと言われても、現実的な解は僕にもありません。ヤブ医者は常に一定数いるもので、患者の努力でそれを減らす事ができるとしたら素晴らしい話です。最初にかかった医師がヤブだった場合にセカンド・オピニオンで難を逃れるケースもあるそうですが、そもそも何科にかかっていいか分からず医科を渡り歩いているハシゴ患者がセカンド・オピニオンまで求め始めると、10や20だった病院数が20や40に増えてしまいます。倍々ゲームでは体も財布も持ちません。
そうならない為に、個々の診断を除外的に利用します。上の例でいえば△△科にはもう二度とかからず、他の科の門を叩くわけです。それは非合理的な判断とは言えないでしょう(医師だって、患者がこれまで何科でどんな診断を受けてきたかは大いに参考にします)。医師の診断を疑っても闇、信じ込んでも闇。諦めて絶望するよりは、一縷の希望に縋って病院を転々とする方がまだ前向きな気すらしてしまいます。
この本のここに救われた
問題点を2つ立て続けに指摘してしまいましたが、最後に良かった点を紹介して終わりにしたいと思います。
ドクター・ショッピングをしていてしんどい事は色々ありますが、その内の1つに「自分はモンスター・ペイシェントなのでは」という不安が挙げられます。どの医師も自分に良い顔をしないものですから、自分が無理難題を言うお荷物患者なように感じられて、忙しい医師に迷惑がかかる事態を懸念するわけです。医師相手の過剰な忖度は患者にとって何もメリットがないのですが。
本書は、医者巡りをする患者を分類した上で、こういうケースでは医療が悪い、他のケースでは患者が悪いと切り分けてくれていますから、そこにはとても助けられました。もっと早く読んでおけば良かったかな。
というわけで僕は、医療提供者のせいでドクター・ショッピングを強いられているんだと開き直る事ができたわけです。
僕は悪くない! (『めだかボックス』球磨川禊)
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