2013/10/03

2013夏アニメの感想とか

僕はこの夏、全部で16本のアニメを視聴していました。いやぁ実に充実していました…!
化物語セカンドシーズンや宇宙兄弟はまだ終わっていませんが、秋アニメも始まりつつあるので、ここで夏の締めくくりをしておきます。

16本全部に触れるのは若干しんどいので、特にこれだけは語りたい!という作品だけにしときます。
その割に長いのはいつものこと。だって好きな物について語ったらそりゃ長くなりますよ、ねぇ?

以下、『○○第一位』みたいな感じで紹介していきますが、全て個人的ランキングに過ぎませんのでよろしくどうぞ。


総合一位:有頂天家族

京都を舞台に人間・天狗・そして狸の織り成すあれやこれやを、『面白可笑しく生きることが人生の目標』と言ってはばからない阿呆狸、下鴨矢三郎が語ります。
コミカルな演出が随所で差し込まれるので楽しい気持ちで観られますが、扱うテーマは至って真面目。特に話の中心を貫く『父の不在』は人間と変わらず重い陰を覗かせます。

父・下鴨総一郎はかつて京都の狸を束ねる長のような立場にありましたが、ある年の瀬、人間によって狸鍋にされてこの世を去りました。
偉大だった父に対する尊敬の念・罪悪感・慕情・コンプレックス…そんな諸々の思いは、四兄弟を時に縛り、時に励まします。

このペースでこの作品を語りだすと紙幅が幾らあっても足りないので、僕が非常に好きな点をピンポイントで三つ挙げてみます。
母の愛情
井上喜久子さん演じる四兄弟の母は、夫と死別したにも関わらずまるで活力を失わず、四兄弟を無償にして無上の愛情で包みます。理論的な根拠なんて全然必要としない信頼や高評価とか、ケジメも何もあったもんじゃない許しとか、そういう"愛情"としか呼びようのない接し方に僕はとても弱いです。こういうキャラは、なんてことない日常の台詞さえ若干うるっと来てしまいます。
諏訪部さんの熱演
諏訪部順一さんが演じたのは四兄弟の長男・矢一郎。彼は亡き父と同じ狸界の長を目指しているので、基本的には真面目で几帳面な口調です。が、他人のいない家族の場ではよく相好を崩し、笑顔も弱みも見せてくれる良いお兄ちゃん。その中で特に、聴く人の心をズギュンと抉る台詞がありました。
文字にできない嗚咽
次男・矢二郎の告白は、父の死は自分のせいだったというものでした。それを聞いた長兄は溜まらず呻き、よろよろとくずおれます。
その時発した「なんということだ」との言葉には、実に沢山の悲しみが感じられました。それを母が聞いたらどれほど悲しむか、次男はこれまでどれほど辛かったか、まだ幼い四男は泣くだろうか、家族みんなの苦しみを一身に引き受けるかのような嘆きです。
短い言葉に沢山の悲しみが篭もっているのも凄いんですが、それ以上に、自身の都合を感じさせないのが凄いなと。
狸の長になる為には選挙で勝つ必要があります。選挙においてこの醜聞は致命的です。告白が真実なら長への道は断たれたと言っても良いでしょう。でもこの時の矢一郎の嗚咽は、
「自分はもう長になれない、なんということだ」
という風にはまるで聞こえなかったのです。素晴らしく的確な表現力ではないでしょうか。
金閣の喜演
うはぁい!!
主人公達のライバル?にあたる夷川一家、そのバカ兄弟の兄・金閣。中の人は西地修哉さんという方で、アニメ声優はこの役が初めてのようです。
これがなんとも言えず味と可笑しさのある演技で、常に勝ち誇って上から目線のくせに最終的にはいつも負けてしまう間抜けさとも相俟って、上質の『憎めない敵キャラ』に仕上がっています。

中でも、銭湯で冷水につけられ悲鳴を上げてから
「僕はお腹が痛いよ」までの下りは何度聴いても笑える名演技でした。
まだまだ語り足りませんがここまでにしときます。二期やらないかなぁ。

OP一位:私がモテないのはどう考えても(略

内容も決して嫌いじゃないですが、特にOPを推したいんです。メロディ・歌詞の内容・アニメーションの一体感、そして更に作品内容との親和性のあらゆる面で、非常に完成度が高かった。

 
登場するのは主人公一人だけ(背景にモブは居ますが)、空を飛んだりしない()、身も世も無い咆哮で始まり(画像左)狂気を思わせる逆ギレで終わる(右)インパクトなど、他に中々類を見ない独自性も良かったです。特に終わり方が最高。

アレとかアレとかアレとか、OPでは度々主人公達が空を飛ぶんですよねぇ…開放感の表れだと思いますがちょっと使われ過ぎて手垢がついた演出じゃないかなって。


OP以外でもう一点。このアニメを通じて、真面目に考えさせられることがありました。いわば『社会性一位』でもあったんです。
本作は、非モテ・コミュ障・ニコ厨などの属性を備えた女子高生・黒木智子が主人公。そんな彼女が彼氏や友人を作る為に悪戦苦闘する中で、目的とはまるで見当違いな手段で突き進む所や、そのくせ無駄に前向きな所などを笑うコメディ作品…だと思っていました。

しかし観る人によっては、黒木智子のありようはちっとも笑えなかったようです。
「ああ、このキャラはSAD(社交不安障害)だ」 と。
例えば欧米に黒木智子のような子供がいた場合、その子は病院に連れて行かれ、治療の対象になるとか、そんな話。
強烈な違和感を覚えました。治療?病気?障害?

なんだかんだで話し相手になってくれる弟
SADを『治療』する世の中ってのは、何だか狭量に感じます。
社交性の押し付け、みたいな?別にぼっちだって、本人がそこそこ幸せでさえあれば矯正する必要なんか無いと思うんですよ。

家族と仲が良ければそれだけでそこそこ幸せってこともあるでしょうし。まぁ将来困りそうですけど、その時はその時じゃないですか。


しかし同時に、治療が受けられるのは良いことだ、とも感じました。今の日本で、智子のような性質の持ち主が

『リア充になりたい、どもりや赤面を治してコミュニケーション上手になりたい』

と願っても、大抵は自助努力で何とかするしかありません(彼女はそうして迷走します)。そういう治療ができる病院は国内にもあるんですが、保護者や教師の多くは、病院で治療という発想自体を持ってくれないからです(どもり=吃音症に関しては、患者会の活動などもあって、治療の対象であるという認識が少しは浸透してきたように感じます)。


ここでいう自助努力というのは、根性論や精神論と大差ないものですから、そんなものを苦しんでいる当人に強要する社会よりは、病院で治す社会の方が生き易いかも知れません。

長くなりました。
こんな小難しいこと考えずに笑って観れば良いと思いますよ、いやホントに。

作画一位:進撃の巨人

言うまでもなく。
立体起動シーンのアクション・カメラワーク・作画枚数は素人でも分かるほど図抜けたクオリティでした。途中ちょっとした色のミスなどもありましたが(笑)、そんなことは余裕で許せるほど他が凄まじかった。

作画兵団の皆様には充分な休養と給料が支給されることを心から願い、円盤の販促に微力を尽くすものであります。現金を捧げよ!(印象悪い)

あざとさ一位:Free!

もうね…狙い撃ちというか、分かってらっしゃるというか。
『腐』な人間が喜ぶ要素を、これでもかとブチ込みまくってあらエロい)、ともすればヤリ過ぎやだエロい)になりかねない、ギリギリなラインでしたよ…。


ストーリーは、ホラーやサスペンスと同じように王道展開を組み合わせて作られていました。視聴者の期待を良い意味で裏切らないので、この先どうなるんだろう?みたいな余計な雑念(←え?)に煩わされることなく、キャラと組み合わせへの愛にのみ没入できたのではないでしょうか。

以下まこはる注意(背景色同化↓ドラッグで読めます)。

僕はまこちんが好きでしたね。あの穏やかな笑顔の裏側にどんな真っ黒な情愛を滾らせてきゃーエロいいたかを思えばハルはちゃんと戸締りをするべきだと思います。
あ…ひょっとして戸締りしないのってそういう?ウェルカム的な?YO☆BA★I★MA☆CHI?

まこ「鍵もかけずに裸になるからこういうことになるんだよ」
はる「遅い」
まこ「え?」
はる「ずっと…待っていた」
アリだと思います

納得イカン度一位:げんしけん二代目

なるべくネガティブなことは言いたくないし、Twitterなんかでも言わないように気をつけています。
書かないだけで内心は色々ありますけれど、アニメは楽しいものですから、ぐっと飲み込むわけですよ。

で・す・が・飲み切れないものが一つだけあったのでこれだけは言わせて頂きたい。げんしけん二代目のあるシーンが原作と違っていて、その違いが僕の中では致命的だという話。

左は原作漫画からの引用です。
この男の娘(女装男子)、左手を意味ありげな場所に置いていますね。食べ過ぎちゃった後、とかでなければ中々こんなポーズとらないと思うんです。

何故この時、このキャラの左手はこんな位置にあるのか?
いっそ不自然とさえ言えるポーズをとるからには、明確な理由があると僕は考えました。

その理由というのは後に回すとして、同じシーンがアニメでどう描かれていたかというと…
…これだけです。→

下方向にパンしたりもしないので、左手がどうなっているかは分かりません。むしろこの上腕の角度から言って、漫画とは違うポーズをとっている可能性が高いでしょう。

あえて言えば画面左側の空間が『何か』を感じさせる画面構成にはなっていますが、ただの空間に上で見て頂いた左手のような雄弁さはありません。

つまりアニメでは、彼の左手が語っていた無言の台詞がカットされた、ということになります。この非常に重要な台詞がなぜカットされしまったのか、僕にはまるで納得イカンのです。

というわけで、僕が考える『彼がこんなポーズをとっていた理由』を語っちゃいます。
が、かなりキモいらしいので再び背景色同化で隠しておきますね。キモさに覚悟完了した方は↓をドラッグしてお読みください。
このシーンは、波戸くん(男の娘)が春日部さん(先輩の女性)に強烈な嫉妬心を抱いている瞬間です。女性に嫉妬するってのはつまり男性への独占欲なわけで、端的に言えば斑目(意中の男性)に対するラブフラグなんですが、波戸くんはまだそれを自覚していません。これより後のシーンでも大真面目に
自分はヘテロである」
ホモセクシャルではない
と主張しています。
その独占欲・愛情は自覚の外にあり、理性の制御下にありません。大脳新皮質ではなく他の器官で感じている愛情なのです。

なら、何処で?
両性具有じゃないよ?
女は子宮で考える』という言葉があるようです。当の女性にとってはあまり良く思われない言い回しですが、頭脳以外で考える器官があるとしたら、子宮を比喩に用いるのはそれなりに納得できます。
つまり、波戸くんが下腹部に手を置いているのは、彼が自身のココシキュ(心の子宮)からの声に捉われていることの暗示なのです。これまで散々彼にココチン(心のチ○コ)があるかとネタにしてきたのは、ここへ繋がる伏線。

なのでアニメでは、カメラが上から降りていって下腹部で止まる、ぐらいが良かったと思うんスよ!!!!(力説)

えー…はい。ごめんなさい。まぁ僕は原作推しということでひとつ。

  

夏アニメについてはこの位にして、次は秋アニメについて語る記事を書きたいですね。京都繋がりで京騒戯画とか楽しみにしております。

皆様もよきアニメライフを!

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