本書のサブタイトルは「栞子さんと奇妙な客人たち」で、シリーズ第1作。既に2冊目の「栞子さんと謎めく日常」まで発売されているので、近い内に買ってこようと思う。
本の内容自体が面白いのもそうだが、それ以外にちょっと考えさせられる事もあった。「本好きについて」とか「書籍の電子化について」とか。
以下、ネタバレは無いのでご安心あれ。
概要
本は好きで読みたいけれどもとある理由で本が読めない大輔と、普段は引込み思案で恥ずかしがり屋だけど本に関する事なら知的で軽妙に頭脳を働かせる栞子さんが主人公。北鎌倉にある古書店「ビブリア古書堂」に勤める大輔のもとに、本にまつわる謎が持ち込まれ、店長である栞子さんがそれを推理し解明する。人が死んだりはしないけど、【ミステリ】ジャンルに入れて良いと思う。
1つの謎に1つの(実在の)古本が関連しており、それを読んだ事があればより楽しめるだろうし、なければ読んでみたくさせられる。
持ち込まれる謎は様々だが、1つ目から若干重めの結末が提示され、以降は少しばかりハラハラとさせられる。が、基本的には北鎌倉の町を彷彿とさせる、落ち着いた雰囲気を持つ物語と言えるだろう。
こんな所が面白い
ミステリ的な意味で
栞子さんは本に関する事なら滅法頭が切れる人物なので、大輔からことの次第を聞いた時点で大体の推理が完了してしまっている。結果、最初に言い出す事やリアクションはそれ自体が謎めいていたり、突飛に見えたりする。が、結局最後まで読み進みて全てが明らかになると、栞子さんの言動はぴったり理に適っていて、ちっともおかしなものではない。
読者は大輔の視点を通して物語に触れるので、ちょっとした謎を栞子さんに持ち込むと最初は余計に分からない事が増えるように感じられるが、それがきちっと在るべき所に収束していく様が楽しい。
謎を解いて終わりではなくて、後日談的なものもついている。いずれも優しい結末で、ハッピーエンドというのも変だが、読んでいて心地が良いのだ。
トリビア的な意味で
「せどり屋」を始め、あまり一般的に知られていない古本屋ならではの知識が色々でてくる。ちなみに栞子さんが読んでいる本やら、絶版文庫として紹介された青木文庫とかはどれも実在のもので、そういう部分はノンフィクションの模様。
それにしても入院中にアンナ・カヴァンは読むべきではないと思う。精神状態が悪くなりそう。まぁそれ以前に栞子さんは病院ですべきでない事を色々しているけどね。
キャラ萌え的な意味で
そういう楽しみ方は決してメインではないけれども、とりあえず栞子さん可愛い、ってのも十分ありだと思われる。栞子さん以外に萌え所が少ないけど。
ギャップ萌えってのは基本中の基本で、ツンデレキャラとかもはや様式美の域だけど、彼女は…ダメキレ?(なんだそれ)
普段は人と目を合わせる事もできないような極度の引っ込み思案で、日常生活ちゃんと送れてるのか不安になる位なんだけど、本が絡むと頭脳が切れて態度も口調も堂々ハキハキと誰とでも話せるようになる、というギャップ。
少なくともこの巻では、大輔と栞子さんがカップルになるようなフラグはちょびっとしか無いんだけど、それでも割とニヤニヤできる。良いペアだ。
以下は内容とはあんまり関係なくて、勝手に考えた事など。
本好きでありたい
僕は確かに本が好きなんだれど、ビブリオマニアを自称するには引け目があった。その理由は、単純に読む数が少ないのもあるし、読解力も高くないし、読んだ本の内容は片っ端から忘れていくし、日本の代表的文豪の作品をちっとも押さえてないし、ビブリア古書堂に出てきた本も全然読んでなかったし、あまつさえ自分の本を裁断してスキャンなんぞしちゃっているし。これで「僕は本が好きです」とか言うと怒られるんじゃないの、みたいな的外れな強迫観念がありまして。
でも、今回この本を読む中でちょっとしたブレイクスルーを感じられる部分があった。小山清の「落穂拾ひ・聖アンデルセン」という本を志田という登場人物が評する下りである。
「人付き合いが苦手で世渡り下手な貧乏人が、不満も持たねえで生きていく、なんてただの願望だわな。まして、そいつの前に純真無垢な若い娘が現われて優しくしてくれる、なんてあるわけねえじゃねえか」 文句を言っているわりに、志田の口調は優しかった。まるで世話の焼ける兄弟の話をしているようだった。 「まあでも、そういうことが分かってて作者もあの話を書いたんだろうぜ。それは読めば分かる……あれは甘ったるい話を書く奴に感情移入する話なんだ」 俺は頷いた――読んでみたいと思わせる感想だった。 ー「栞子さんと奇妙な客人たち」P121〜122より |
僕がここを読んで感じたのは、「落穂拾ひ」を読んでみたいという事では(残念ながら)なくて、「こういう感想を言える人間になりたい」だった。これを言える人こそ、本好きなのだと感じた。
物語の中で起こる事について、難癖をつけるのは簡単だ。フィクションなのだから。基本的には綻びが沢山ある。でもそんな事はどうでもよくて、物語世界を透かして見える作者の価値観みたいなものを感じ取って、それを否定することなく共感して、それに自分の価値観を響き合わせて応答するような、そんな読者になりたいと僕は思う。
このブログでもそんな感想文を書けたらいいけど、ハードル高いなぁ。作者の価値観にまで到達するには、よっぽど深く読み返す必要があると思う。
今の所この本を3回は通読してみたけど、読み方が浅いようで全然そこまで入り込めない。日々精進か。
書籍の電子化について
自炊とか自炊代行という意味での電子化と、売る側が最初から電子化して配信するのとは大違いだから、こんな括り方は余りにも乱暴なんだけど、全体的な話は語り始めると余りに長くなる気がするから、ここでは読みながら感じた1点についてだけ記しておく。全体的な話はいずれ別の記事で書くかも知れない。
「わずかな数しか作られなかった、人々の手を経た本が、こんなに完璧な形で残っているのは奇跡だ。それが理解できないことの方が驚きだよ。本の中だけではなく、この本が辿ってきた運命にも物語がある……ぼくはその物語ごと手に入れたいんだ」 ー「栞子さんと奇妙な客人たち」P273より |
本の稀少性や保存状態の良さといったパラメータは、電子書籍には有り得ない――複製は容易だし劣化する方が難しいから。そして「人々の手を経」ることも、DRMと法整備の仕組み次第だけれど、大っぴらには難しいかも知れない。だから電子書籍は、形がない重さがない匂いがないといった「物体がない」点に加えて、「付随する物語がない」という点においても、本好きから受け入れられにくい。
でも、それはデジタルを活用しきれていないだけなんじゃないか、と思う。電子書籍に対しても、物語を付随させる事は可能だ。それを古書マニア達が喜ぶかどうかは知らないが。
(実際の技術的処方箋は、電子書籍のDRMと法整備がどうなるかに依ってかなり変わってくるので割愛する。別に目新しい事は考えてないし)
僕は書籍の電子化に対して肯定的な立場だけれど、それでも紙の本と電子化したものが同じだとは全く考えていない。内容は同じかも知れないが別の物として捉えている。紙の本では当たり前な事が電子書籍では出来なかったり難しかったりしても、驚くには値しない。別物だから。
でもだからと言って出来ないと諦めるのは早すぎる。電子書籍はこれからのメディアだ。古書マニアも受け入れられる方法があるかも知れないし、古書マニアの側が変容していくこともある。紙の本という形態に執着し過ぎないよう留意が必要だと思う。
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