舞台はイタリア、マンガ本編第5部(ジョルノ編)完結時点から半年後の世界。主人公は第5部の途中で苦境に立たされたジョルノ達と別れ、そのせいで「裏切り者」「恥知らず」と囁かれてしまっているパンナコッタ・フーゴと、彼のスタンド・パープルヘイズ。
仲間はもちろんのこと、彼自身さえも傷付けかねない危険なスタンド能力は、読者から見ても「コイツ扱いづらそう(物語内の部下としても、物語外からみた登場人物としても)」とのレッテルを貼られ、ましてマンガの中でまともに戦闘に参加したのは一度だけで、主人公メンバーから離脱。
しかしそれでも、本作はジョジョ本編から見て単なるサイドストーリーやトリヴィアルな裏話ではなく、正しくジョジョのアフターストーリーとして、その精神を受け継いでいる。その精神を、作者とファンは「黄金の風」と呼んでいる。
以下、ネタバレあり。
ファンにとって嬉しい事に、マンガ本編中に登場したキャラがたくさん登場する。当時倒したけれど殺さなかったキャラが今回は死んでしまったり、意外な人物の名前が出てきたり。これまで過去が殆ど語られていなかったトニオさんが、実は名家の長男だとか、京兆や吉廣(吉影の父。写真の幽霊親父)に射られた以外の原因で能力を得た事とか(そう言えば射られた描写もなかった)が分かって個人的にはとても嬉しかった。
が、上記はファンサービスみたいなもので、この物語の中心からはかなり外れている。中心は、短くまとめるとこんなテーマだと思う。
社会通念とか、常識的な判断といったもの。
これらに従う事を大きなストレスに感じる経験は、誰にでもある。しかし頭のいい、ある程度に「出来のいい」フーゴのような人間は、ストレスを感じつつも従ってしまうばかりか、言葉の上では「従わない奴の方が馬鹿か子供なんだ」みたいな事を言ってしまう。
でもそれは嘘だ。いつだって嘘だ。人が、言葉の上でも心の中でも納得して、従う事が出来るのは、自分を信じてくれている誰かからの依頼や命令だけで、自分を信じてくれていない誰かに従っても、幸福は得られない。
作中末尾、この事を喝破するジョルノにはシビれた。カッコいい。誰もがフーゴを裏切り者と呼び、フーゴ自身も自分が裏切ったと言う。しかしジョルノは指摘する。
「君自身はそう思っていないはずだ。そうは思えないんじゃなあないのか。むしろブチャラティの方が自分を裏切ったような気がしているはずだ。 (中略) 君は、“裏切った”とぼくらが思っているだろうという計算をして、先回りしてそういうことを言っている――心にもないくせに」
ー「恥知らずのパープルヘイズ」p286−287より引用
太字は引用者による |
自分を客観視できる能力は、それ自体は悪いものではないし、むしろ求められる有用なスキルだ。しかし、客観視点の善し悪し損得ばかりに依って行動の指針を決めていると、それはストレスにしかならない。
決めるのは自分でなければならない。(この辺りのテーマは、今やっているテイルズオブエクシリアとも被る)
荒木先生による第5部あとがき(文庫版39巻に収録)にもある通り、この第5部の登場人物は皆、生まれた時点か幼い時点で社会や家庭からつまはじきにされてしまい、一般的にいう「真っ当な生き方」コースを外れてしまっている。だから人一倍、社会通念や常識が大嫌いという一面がある。
だのに、彼らが飛び込んだギャングの世界は、そこはそこでギャングなりの通念と常識が幅を利かせていて、むしろ一般社会よりも強く、構成員を縛る事がある。
そこで若くして生きてきたフーゴの心境たるや、よくもまあ平時はキレずにいられたものだ、という感じ。しかしジョルノは完璧に彼の苦しみを掬いとった事だろう。ジョルノは、フーゴを先ず信じてみせた。だからフーゴも安心して彼を信じられる。
閑話休題。
ジョジョの世界では時折、人間の成長に合わせてスタンド能力も成長する。最も顕著な例は第4部のエコーズだが、本作でもパープルヘイズが成長を遂げる。
その成長の結果が、「殺人ウィルスが強化され過ぎると共食いになる為、能力を手加減すればするほど殺傷能力は強く、本気を出すほど殺傷能力は弱くなる」というのは、いかにも上遠野さんの使いそうなレトリックとも感じるが、優しい変化で何よりだと思う。つまり彼は、スタンド能力以外の面においても、自分自身やシーラEを無闇に傷つける事はなくなったといえるだろうから。
以下、雑多な感想で終わる。
以下の1つ1つについて、語りたい事はいっぱいあるけれど、いい加減長くなり過ぎてしまうので終わる。
- ジョルノ神格化されまくり。ディオ様なみのカリスマを発揮しててやばい。
- ムーロロは伊達男。53分の1っつっても集約されればあんた1人に集まるんだから意味なくね?残りの68.7%はどこいったの?とかいうツッコミは、鍛えられたジョジョファンはしない。
- 群体の能力と聞いて最初にF・Fを思い浮かべたけどあれは違うよね…。
- ドリー・ダガーで相手を殺そうと思ったら、人間の致死量の7分の3のダメージを自分が負わなければならないわけで、ちょっとどころじゃなくシンドい。加減間違うと自分も死ぬ。
- マニック・デプレッションの効果を絵にしたらドーピングコンソメスープになるとしか思えない。
- コカキのスタンドは怖い。こういうのはマンガより小説という舞台の方が演出しやすそうに思える。でもこの能力は絶対可憐チルドレンのグリシャム大佐が持ったらもっと怖い。
- まさか石仮面が出てくるとは。説明不足感がないではないけど。
おそらく今年年末?に、VS JOJOの第2弾(西尾維新)も発売とか。楽しみ。
通りすがりですが、益体もない突っ込みが一つ
返信削除>ムーロロは伊達男。53分の1っつっても集約されればあんた1人に集まるんだから意味なくね?
53枚全部にそれぞれ53分の1のダメージが
入ってるんじゃなくて、
53枚ある内の1枚のカードが一回のダメージを全部引き受ける
↓
けどやられたのは53分の1だから本体へ
フィードバックするダメージも53分の1
なのでは?
まあどうでもいいですが
コメントありがとうございます。どうなんでしょうね、本当のトコは分からないですけど。
返信削除仮にムーロロのHP(笑)が53だとして、スタンド無しでそれだけのダメージを受けたら死んじゃうわけですが、
スタンドを使っているとHP1のトランプ53枚に分かれるので、一撃の攻撃で負うダメージは最大でも1に抑えられるとかって事でしょうか。
オラオラとか食らったら死んでしまいそうですねえw
答えは出ないですけど、こういう妄想は楽しいですよね〜