零くんは嵐の海に喩えました。別のキャラは素潜りに、或いは山登りに、冒険小説に、様々な表現で戦いは語られてきました。
この巻では、宗谷名人と柳原棋匠がその世界を語ってくれました。その鮮やかなイメージは、読者も思わず自分の生き方を振り返ってしまうような、不思議な力を持っているのです。
以下、ちょっぴりネタバレ有りなのでご注意ください。
何もないことが、優しい
零くんをも易々と飲み込んだ宗谷名人の世界は、『静かで明るくて何もこわくない所』でした。そこには二人の対局者と将棋盤があるばかりです。
きっと彼にとっては、世俗の雑事にまみれた日常生活の方がむしろ生き難くて、ひとつことに集中できる対局中の方がずっと優しい時間だったのでしょう。
まぁ、それもデタラメに強いが故に言える、彼ならではの語り口ですが。
これでもし将棋の才に恵まれてなかったら、彼はどうなっていたんでしょう。一種の自閉症とか、そういうラベリングをされてしまっていたのかも。
逆に無数のしがらみが
柳原棋匠には、全く違って見えています。
最も永く現役を貫き、多くの同輩や後輩をも見送ってきた彼の肩には、たくさんの『たすき』が掛けられています。もはや託す相手も見えないたすきです。
その無数のたすきは全身に重く絡みついていますが、実は解き放たれるのはとても簡単です。諦めれば良いのです。みんな、よく頑張ったと慰めてくれるでしょう。
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手を離すだけでたすきからは解放されます |
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66歳の力強い細腕 |
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うおりゃあ。こういう写真撮ってポスターにしたらお客さん来るよ |
そんなの無理です
さてパンピーの僕はというと、これまで割と簡単に諦めて別の道に進んだりしてきました。周りの人にも頑張り過ぎないことを第一に勧めちゃったりします。それは、たとえ喪ってしまっても、日頃の下らない雑事の中から、小さな笑いをかき集めて自分を作り直せるさと開き直っているからです。実際そんな風にやってきたとも。
(まぁ、そのせいで古い友人との繋がりは殆ど切れてしまっていて、それを寂しく思うこともありますが)
僕は宗谷名人よりずっと混じりっけばかりで出来ていますし、柳原棋匠みたいに一身に期待を背負ってはいません。
自分を卑下するつもりは全くありませんが、気がつけばそんな風に自身と鑑ている。 それくらい、宗谷さんの世界は清澄で、柳原さんのそれはド迫力なのでした。
そんなわけで3月のライオン第8巻、個人的感想なぐり書きでした。
あえて言えばひなちゃん成分が足りない…!
でも零くんの隣で幸せそうに微笑むひなちゃん可愛い…ひなちゃんが幸せそうならそれで…零くん爆発しろとか言わない…大爆発しろ
※本投稿中にある漫画の画像は全て『3月のライオン』8巻からの引用であり、著作権は元の著者のものです。
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