2013/07/04

#翠星のガルガンティア 僕をチェインバーは殺し船団は救う

翠星のガルガンティアが終わりましたね。面白かった…最高でした。スタッフ・キャストの皆様お疲れ様です。

さりとて、個人的には『こういうテーマ』にちょっと食傷気味だったりもするのです。こういうのとは、つまり『探求・冒険・模索こそ人類の価値』みたいな価値観について。


■僕を殺す価値観

こちらのブログが、文章としては長いですが僕の思っていたことも書いてくれてたので引用します。
チェインバー
「懐疑提言。X3752に告げる。貴官の論理は破綻している。思考と判断を放棄した存在は人類の定義を逸脱する。貴官が統括する構成員は対人支援回路の奉仕対象と足りえない」 
と言うのは「自分で考えない人間は人間じゃない」という、選民思想と紙一重の考え方ですね。

――上記ブログより

共感されないのを覚悟で言ってしまえば、僕個人は「考えを放棄して生きていけるならその方が楽だよなぁ」と思っているフシがかなり有りまして、実際問題そんなことはできないので仕方なく考えながら生きているような、チェインバーさんからすれば生きている価値無しのクジライカ的存在なのです。しゃげー。ぷちっ。あっ。

■他の事例

で、僕を殺すこの価値観はガルガンティアに限らず色んな作品で共通して見ることができます。例えば最近大流行の進撃の巨人においても

アルミン:
エレン…答えてくれ
壁から一歩外に出ればそこは地獄の世界なのに
どうしてエレンは外の世界に行きたいと思ったの?

エレン:
どうしてだって…?
そんなの…決まってんだろ
オレが!! この世に生まれたからだ!!

進撃の巨人より。生まれたからだ!!
アツいですねー。さすが主人公。
僕が進撃世界に生まれついたら間違いなく巨人化したものの手足が細すぎて家を壊した後一歩も動けずに天を見上げているタイプですよ。オ…アエリ…。

断っておきますけど僕はこういう作品決して嫌いじゃないです、楽しんでますよ?ただこういう価値観の作品は多いなぁと思うんです。逆の価値観は殆ど見かけないのに。

■逆の事例?

チェインバーさんの主張を引っくり返すと、『人は生まれただけで尊いんだ』という、ちょっと照れ臭く、宗教臭くもある価値観になります。個人的には"ジョジョ的人間讃歌"と表現したい所ですが。

駄目な自分を肯定するという意味では、めだかボックスの禊ちゃんや俺がいるの比企ヶ谷くんも有望株ですが、彼らは総じて優れている人間を敵視する傾向が強いのでまたちょっと違うカテゴリーです。
俺がいるより。衝撃的な主張である。
もっと包括的に全個体を肯定するような価値観はないもんですかね。

分かってます。
そんな価値観は普通の人間には持ち難いし、そんなテーマで作品を作っても視聴者の共感を得づらいんだろうなってことは。
でも現実世界で少ないからこそ、フィクションの中でぐらいそういう考え方が広まっててもいいのに、と期待してしまうのです。

って、書いてて気付きましたよ?あるじゃん。あるある。

■灯台モトクラシー

それガルガンティア船団じゃん!

ニート(初期レド)だろうとオカマ・LGBTだろうと障害者(ベベル)だろうと許容する懐の広い社会だし、女性の社会進出も盛んどころか後半はトップが女性になったし、他のコミュニティから来たかなり文化の違いそうな集団(クーゲル船団)もまるっと取り込んじゃうし、正にそれって僕が求めた『人ならオールウェルカム』な価値観じゃないですか。そうそう、こういうの。

ガルガンティアより。レド逃げてー!
キツい絵面ですが、彼ら(彼女ら?)にも認められたテリトリーがあるっぽかったので、決して排斥されていたわけではないように見えました。

現実の日本もこれくらい寛容だと生き易いんですけどねぇ、というのが半障害者とか制度の谷間とかから見たガルガンティアでした。変な〆。

現実といえば、チェインバーが現実にいたら楽しいのにねという妄想を呟いていたらTogetterでまとめてもらいました。よろしければご笑覧ください。

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