2011/12/17

書籍感想)OVER HEAVEN/西尾維新

「ジョジョ」の連続ノベライズ企画である「VS JOJO」の第二弾。今回の作者は西尾維新。
本編(漫画の方)第六部「ストーンオーシャン」にて存在が明かされたDIOの手記。そこには「天国に至る方法」が書かれていたが、空条承太郎の手で焼却されてしまう。それを復元したのが、この本。つまり内容はまるまる、DIOの記したノートだ。


読み終わって最初に思ったのは、「これは評価が分かれそうだぞ」だった。
  • DIO様の意外な面が読めて嬉しい!
  • こんなのDIO様じゃない…
このどちらになるかは、僕の中でも微妙なラインだった。そして今も迷っている。
以下に迷いながら辿った考えを記す。僕はなんだかんだでディオ様の事が好き過ぎるので、毎度の事ながら凄い長文注意。長いから結論を先に書くと、面白い。面白いが、注意して欲しい。

以下ネタバレ有り。


一応、ジョジョを知らない方の為に補足をしておく。DIOというキャラクターは、ジョジョシリーズに長きに渡って登場する敵だ。
第一部と第三部には圧倒的な悪のシンボルでありカリスマとして活躍し最後には殺される。しかしその悪っぷりに惹かれるファンは非常に多い。
第六部でも回想の中にだけ登場するが、その時は意外なほど穏やかで理性的な一面を覗かせた。それもまた「意外な一面カッコいい」として、ファンの間でも概ね好意的に受け入れられていた(と思う)。

この記事を書いている時点でのAmazonレビューは星1つが6件のみという酷い有り様だ。ざっと読んだ限り、概ね「こんなのDIO様じゃない…」的な事が書いてあったように思う。それはまぁ、そういう評価も仕方がないような気がする。

でも僕は維新氏の作品が概ね好きだから、酷評をするにしてもアレコレ考えてからにしたい。

なぜDIOのノートなのか

近年のRPGや漫画、アニメで良くあるような、悪が何故悪になったのか、というような女々しい言い訳は、DIOにはなかった。ただ悪を自認し、悪として振る舞い、圧倒的に強かった。
だから人気があるのかも知れない。というのも、このノートはDIOが彼の人生の殆どを振り返って記したもので、それについて「女々しい」「言い訳がましい」という酷評が集まっているようだから。

でも僕は思う。そもそも、第六部の回想に登場するDIOは意外に過ぎたのだと。
あの悪の集大成、ゲロ以下の匂いがぷんぷんする悪の中の悪が、よりにもよって高潔な神父(当時は見習い)だったプッチを殺すでもなく友人として付き合い、あまつさえ「天国に行く方法」について模索していたなんて。普通に考えたらありえないではないか。
第一部と第三部のDIOは繋がっているけど、第六部のDIOは断絶している。

その断絶を繋ごうとするなら、その謎を解いてしまおうというなら、他ならぬDIO自身の視点と手で、彼自身に語ってもらうしか無い。そういう意味でこの手記は必然性があったように思う。
一方、彼の思想や背景なんて知りたくなかった、謎があるからいいんだ、というファンはいると思うし、そういう人は本書を読むべきではないだろうと思う。きっと楽しめない。ネタバレ本というか、暴露本だから。

繋がったのか?

だからこの本の評価をするにあたって大前提となるのは、悪そのものであった彼が天国に行く方法を求めた理由という謎がちゃんと解き明かされているかという点じゃなかろうか。
維新氏の言い方を借りるなら、ほんの一瞬でも、読者に「謎はすっかり解けた」と納得させられたかという点で評価するならば。

う、うーん…。解けてるのか?どうなんだ?
少なくとも僕はまだ、「すっかり解けたぞ」と良い気分にはなっていない。もやもやしている。

彼が何故「天国へ行く方法」を求めたか、というWhyDoneItについては、読み取れる。
しかし、彼がどうやってそれに辿り着いたか(HowDoneIt)については、絶対に書かれていない。謎過ぎる。突拍子もない方法である。それを書く為のノートだって、p27で言っているのに。

別の読み方

小説の読み方なんぞというのは阿呆らしい言説で、あえて言えば読者が自然と読む流れが正解なんだというのが僕の持論だけど、でも「この作品は第六部DIOの不自然さを繋ぐものである」という枠組みは間違っているようだ。
別の読み方を模索してみよう。

読んでいる最中から思っていた。これはひょっとして、アレな本なのではないか、と。でもそれが何となく好ましくなかったから、その可能性を排除したのだ。
アレな本というのはつまり、「DIO様も人間なんだよ」という本。そういう読み方。彼を様づけで呼び、悪のカリスマと讃えるファン(僕も含む)にはちょっと受け入れ難い。けど僕にはそう読むのが自然に感じられたのだ。

彼は自分を悪だと認めているし、それを他人や環境のせいにはしない。

『環境で悪人になっただと? 違うねっ! こいつは生まれついての悪だ!(略)』
なんとも正しいお言葉だ。(略)
確かにわたしは生まれついての悪だったかもしれない――きっとそうだったのだろう。自分でもそう思う。少なくともわたしは、どれほど記憶を探っても、自分が純真無垢だった頃、善人だった頃、あどけなかった頃というものを思い出せない。

ー「OVER HEAVEN」p162より

自身を評してこんな風に書いている。人間の性質を10とした時、自分は善性が0で邪悪が10だとしている。けれど、悪一色の人間なんているだろうか。多分いない。どんな環境で育とうが、人間であるなら色んな面を持っている。
確かにDIOは人の命をなんとも思っていないし、あえて規定するなら食料と理解している。一方でホル・ホースやプッチを好ましく思い、エンヤ婆やダービー兄を高く評価してもいる。

だから、僕も書いてて嫌な気分になるが、DIOは純粋悪なんかではなかったのだ。一部と三部という物語の中でそう描かれていただけで、物語性をとっぱらって彼のリアリティに迫ろうとすれば、こうなってしまうのは仕方のない事なのだ。
というわけなので、似たような事をさっきも書いたが、「リアリティなんてクソ食らえだ純粋悪で居て欲しいんだ」という方は本書を読まない事をお勧めする。

西尾維新作品として

ジョジョシリーズは「人間賛歌」だと作者の荒木氏は言った。その「人間」にディオは含まれるだろうか。
多くの読者は含めていなかったように思う。僕は含めていなかった。
しかし西尾維新は含めるのだ。彼の作品をちょっと読んだ方なら確実に分かるだろうが、彼はそういう、悪を排除し敗者を生む正義みたいな概念を認めていない。

維新氏が生み出したキャラクターの中で、「めだかボックス」の球磨川禊がグンバツに好きだ。愛していると言っても良い。
本書の中でディオが、球磨川みたいな事を書いているくだりがある。

ジョナサンは波紋法を、あっさりと身につけたらしい――もちろん、それなりに過酷の修行はしたのだろうけれど、ほんの一週間か二週間程度の、なんというか、『努力みたいなもの』で波紋を使えるようになったというのが……、ああ、果たしてなんと書けばいいのだろうか、率直に言って、本当に嫌になる。

ー「OVER HEAVEN」p204より

「果たしてなんと書けばいいのだろうか」とディオだから悩んでいるが、球磨川なら「そんなジャンプ的な展開」と表現する事だろう。ジャンプ漫画なんだからしょうがない。
ディオの愚痴は続く。

わたしや、他の多くの人間にはできないことが、彼にはあっけなくできてしまい、与えられて、受け継いで、また、もともと持っていたりして――とにかく、なんだかんだで達成してしまう。
才能とか。
万人にひとりの適性とか。
そういうわけのわからないもので――易々と、多大なる犠牲を払って人間を超越したはずのわたしに追いついてしまう。

ー「OVER HEAVEN」p204より

ここを読んでいる僕の頭の中では、球磨川が「そんなジャンプ的なご都合主義的展開が許されて良いわけないじゃないか」などと嘯いていた。
うん、これはDIOファンからすれば「コレジャナイ」感がしても仕方がない。

他にも、維新作品だなと感じる点は幾つもあって、ンドゥールについて「生まれついてのスタンド使いゆえに世間になじめなかった」としたり、それに続いて

どんな者でも。
悪人であろうと――愚かであろうと。
天国に行ける方法を、確立しなければならないのだ。

ー「OVER HEAVEN」p215より

こんな事を書いちゃうあたりは「少女不十分」を連想させる。(→拙ブログ「少女不十分」感想
母やエリナやジョージといった純粋善のキャラクターを「気持ち悪い」と断じるのはまんま羽川翼を評しての忍野メメの台詞である。

何が言いたいかというと、VS JOJOという企画において、西尾維新はジョジョというビッグタイトルに負けずに自分のテーマを出しているという事だ。

人間・ディオ

純粋悪ではない人間だったディオ。
そう捉えてみれば、本書内での彼は女々しいというより人間臭い。
気分屋で、ノートを書きながら時折感情的になり、一旦筆をおいて間をとったり、忙しくて思ったように執筆が進まないと気分が悪かったり、逆に計画通りに書き進められると気分が良かったり。

それどころか彼は、過負荷というか非リア充というか負け組というか、そんな視点すら持っているようだ。こんなくだりがある。

何より彼らは、ジョセフ・ジョースターと空条承太郎は、『天国に行く方法』に、何の興味も持たないのではないだろうか?
天国に行くまでもなく。
『受け継ぐ者』
として、充実した生活を送っている彼らには、『天国』を自分の目で観たいというような欲求はないのではないだろうか。

ー「OVER HEAVEN」p250より

ディオは人間を『与える者』『奪う者』『受け継ぐ者』といった具合にカテゴライズしているが、この部分は明らかに『持たざる者』の発想だ。リア充に向ける羨望の眼差しだ。
ディオ様を非リア充として描くっていうのは、斬新だよな。そして大胆だ。

実際、第三部のラストでディオは敗北し、永遠に死ぬ事になる。それは変わらない事実で、彼が勝者か敗者かは分かりきっている。
……あぁそうか、僕はその分かりきった事に目を背けていて、だからこの本を最初受け入れがたく感じたのか。

そう、僕が冒頭に「面白い」と評したのはこの辺りだ。DIOという悪のカリスマを、ディオという人間として再定義するかのような。
(再三言うように、そんなの許さんという原典主義者はこの本を読むのを避けた方がいい)
第三部が終了したのは1992年の事だ。20年近く経つ。どんなに魅力あるキャラクターだって、古くなる。風化させない為には、再演出が必要なのだ。再演を重ねるミュージカル等でそうするように。

人間ディオは、絶対悪ではないにせよ、自己中心的な人格であった事は間違いない。だってこの手記、読者にとっての読みやすさとか全然考慮されていないもの。

メタな読み方

やっと、長い長いキャラ語り(ディオ様好き好きトーク)が終わって、若干ひいた目でこの本を評価できる。

まず、率直にいって読みづらい。百年前の出来事(第一部)と現在(第三部)と「天国に行く方法」が交錯する。整理して欲しいと言いたい。
でも相手はディオ様であるから、絶対に整理はしてくれまい。

この点も含めてだが、なんというかちょっと、言い訳臭い。ディオ様がではなく、作者が。読みづらさについても「ディオ様だから」という言い訳がつくし、冒頭の「序文」なんかは言い訳そのものに見える。ストーンオーシャン未読の読者の為、と言えなくもないが。

また、非常に挑戦的だと思った。ディオ様は手記の中で徹底的に『受け継ぐ者』を憎み軽蔑している。けれども『継承』はジョジョシリーズを貫くテーマでもある。もちろん「ディオ様だから」対立するのは当然なんだけど、ジョジョラーを敵に回すリスクを最初から含んだ企画である。

視点リセット

どうやら良くない事に、Amazonのレビューが酷評ばかりだった点に引っ張られているようだ。DIO様ファンの目を変に気にした書き方を僕がしてしまっている。そんな必要は全然ないのに。これは僕の感想なんだから。

なるべくフラットに見よう。先入観を捨てて事実だけで見よう。そう、まずこれはDIO本である。それは事実だ。彼は敗者である。これも事実。要するに本書は敗者の弁だ。そう読むべきだ。

女々しい?マンモーニ?君達はこの本に何を期待していたんだ、これは敗者の弁だぞ、当たり前じゃないか。
などと一蹴しておくことにする。

良き敗者の弁とは何だろう。グッドルーザー。それは負けてなお立ち向かう者だとか(「めだかボックス」)。
ディオは負けて死んで立ち上がれないけれど、彼の遺志と遺児は絶えていなかった。そして彼の遺志を継ぐエンリコ・プッチは、殆ど勝っていた。勝利に限りなく近づいて――結局負けてしまったが。

彼は『与える者』となり、プッチ達はそれを『受け継いだ』。ディオの息子達からすれば、それは『誇り』であり『覚悟』をさせてくれるものだった。

だからやっぱり、ぐるりと一周した感はあるけれど、ディオもまたジョジョのテーマ『継承』からなんら外れるものではなく、彼もまた『人間賛歌』に賛えられるものの一部だと理解できる。
ディオはその辺を誤認していた。自分は人間をやめ、その輪から逸脱したものだと、或いは爪弾きにされたものだと勘違いしていた。だから天国を求めた。

お、なんか綺麗にまとまった感?やっぱりこの本はWhyDoneItを説明していたのか。
読み返していく内に、「なんで悪が天国なんだよ」から、「悪だから天国なんだな、むしろ善人は勝ち組だから天国なんて要らないだろ」と変わっていく、再定義されていくのは、やっぱり楽しい。一回で読み取る力が無いだけですが。

最後に

「天国に行く方法」のコアともいえる、「覚悟した者は幸福である」。この覚悟というキーワードが、よりにもよって君から出てきていたとは、意外至極。そういえば君も、負けてなお立ち向かう者だったね。

2 件のコメント:

  1. いっそ一種の可愛さすらも感じるほどのあまりに人間臭いDIOの内面。
    敗者の視点からするといかに主人公達はご都合主義でムカつくのか。
    自分が読後抱いた感想とあまりに合致していたのでコメントさせて頂きました。(「いや、微妙にお前の意見とは違うと思うぜ」って言われるかもしれませんが…)
    確かに"カリスマ"DIOが好きな人達は酷評してもしょうがないんでしょうね。
    私個人としてはこのノートを読んで、今まで以上にDIOというキャラクターが好きになりました。
    小奥さんはどうでしたか?今まで以上に好きになりましたか?…聞くまでもないかも、ですが。
    長文失礼致しました。

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  2. コメントありがとうございます。最初の2行はホント言いたかったことです。
    これまでより好きになったかは、実は冒頭に書いたように悩ましいんですよ。
    カリスマDIOも好きです。人間ディオも好きです。
    ちょっとこう、別物として考えているというか(苦笑)。好き過ぎるのも困ったもんです。

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