ひなちゃんの受験とか。ひなちゃんが髪切ったりとか、ボブカットのひなちゃんも可愛いとか。
新キャラがどうみても貝木泥舟だとか、孤独にみえた宗谷名人にも仲良しな昔馴染みが居たとか、林田先生にラブフラグとか、ひなちゃんはそうめんを食べてても可愛いとか。
語りたいことは山ほどあるのですが、僕が一番もやもやするのは、やっぱりこのキャラなんです。
高城。
彼女が出てくるとムカムカすることも多いですが、物語の中で『駄目人間』なキャラクター性は僕にとって共感しやすいのが残念です。
零ちゃんは真面目すぎて、あかりさんは優しすぎて、
――そんなあなたに球磨川禊。ダメ人間という処方箋。
◆不確実とか確証とか
世の中ってほんと理不尽で、ワケ分かんないことだらけですよね。でも、実際そうなんだからそんな世の中に適応していくしかないわけで。
1■僕だって欲しかった
高城が周囲にしたひどい八つ当たりはとても弁護できませんが、動機だけは残念ながら共感できます。
単純化すれば、『無駄な(無駄かもしれない)努力をするのが怖い』という無気力だと思うんですね。7巻で山崎順慶と続けて語られたのも同じ文脈なのでしょう。
保証が欲しいのは分かります。努力が100%報われるなら、どんなにありがたいことでしょう。
丁度中学三年というと、義務教育が修了して初めて自分の意思で高校を選ぶ時期であり、不安だろうと嫌だろうと自分の将来に自分で線を引かなきゃいけなくなる年齢です。そんな時期だから大多数は不安になるし、保証が他人から得られるなら欲しがる人は一杯いるでしょう。
でも現実では、そんな保証は無くて当たり前ですよね。無いなりに何とかしていくしかない。周りに保証を求めてたら子供のまんまじゃないですか。
誰かに保証してもらうまで動こうとしない高城は、ひなちゃんとは全くの好対照です。(以下は零くんによる評)
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それまで僕は自分が「正しい」か「間違ってる」かは裁判みたいに他人に決めてもらわないといけない事だと思っていた
だけどあの日
「私のしたことは間違ってない」と不安でいっぱいの中でも決して自分の心の舵をしっかり握って離さない彼女に
僕は自分の中にはなかった光を見つけた
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【意味があるか分からないから、行動しない】高城と、
【ちほちゃんを庇ったことは間違ってない】と言うひなちゃんの対比は、繰り返し描かれているように思います。
2■行動から分かる(しないと分からない)こと
そしてこの9巻では、
- 【屋台を出したことを通じてやりたいことを見つけたひなちゃん】
- 【考えるだけでは幾ら考えても答えの出せない国分さん】
- 【充分考えたはずの局面に実際に潜りこんでみたら無数の可能性を発見した土橋さん(と宗谷さん)】
高城には悪事から学ぶことだってできたはずなんですが、その為には少なくとも自分がしたことと向き合う必要があります。
新人の小見川教諭が言っていることは理屈としては間違ってないと思うんです。高城のしたことはおかしいし、高城に手間がかけられるのもおかしい。罪には罰が相応しい――。
理屈としてはそうなんですが、コスト的にはもったいない。罪から学ぶことをしないならそれはそれだけで終わってしまいます。自分自身の行動から確信を掴ませられれば、次の行動も変わると期待できるわけですから。
7巻で国分教諭も溜息まじりに言っていました。
「教える」と「育てる」で「教育」。「教える」だけだったらとてもやってられない、と。
ひどいことをやらかした高城は、育てば育つはずなんです。育ってくれなかったら…ほんと、やり切れないですもの。
羽海野先生が、入院と手術のためしばらく休載なさるとか。詳細は分かりませんが、大事なければ良いですね。元気な状態で戻ってきてくれることを祈るばかりです。
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